沖縄4日目

 

12月28日
美ら海終日観光バスツアーに参加。

8:35 県庁前集合 8:50出発。
今回のツアーではバスの座席は指定席。
幸運にも運転手席のすぐ後ろを用意してくれていて、
今日も車窓の景色とガイドさんの説明をしっかり満喫できそうです。

 

途中2か所で参加者を拾い、
国籍もバラバラな約30名のツアーがようやく始まったのが10時過ぎ。
集合時間に遅れる人もいたためここまでが長く感じられましたが、
これから嘉手納町にある道の駅かでなへ向かいます。

 

嘉手納町は、沖縄本島の中部に位置し東シナ海に面した小さな町ですが、
嘉手納飛行場、納弾薬庫地区、陸軍貯油施設があり、
町の83%が米軍基地で占められています。
ベトナム戦争のときには、嘉手納飛行場から米軍戦闘機が飛来し、
1968年には離陸に失敗した戦闘機が爆発し、
民家が損傷し数名が軽傷を負う事故もあったそうです。

 

道の駅にはトイレ休憩に立ち寄っただけでしたが、
ここには展望場があり、嘉手納飛行場の滑走路を見渡すことができます。
私はバスから降りて一目散にこの展望場へあがりました。
訓練中の戦闘機が飛来する様子やその爆音を目のあたりにすると、
本当にここは日本なのかと信じられない気持ちになりました。

 

米軍基地地域には、米軍兵士の家族が暮らす住宅地や学校、
アメリカと同じように生活できるようにすべてが整備されているそうです。
以前、沖縄で育ったハワイからの留学生がいましたが、
彼が日本語を話すことができなかったのもこのような背景があったからです。
本土復帰を果たしたとはいえ、沖縄は今でも複雑な社会構成を成しています。

 

さて、嘉手納町で社会について想いを巡らせた後、
バスはここから一気に北上して名護市北西の本部町にある
海洋博公園を目指します。
海洋博公演は、1975年に沖縄で開催された沖縄国際海洋博覧会
記念して設営された国営公園で沖縄観光でも人気の高い観光スポットです。
中でも有名なのが美ら海水族館
世界最大級の分厚い巨大な水槽の中でゆったりと泳ぐジンベイザメや、
東シナ海をバックにしたイルカショーが大人気です。

 

ここでは約2時間半の自由時間だったので、
水族館の中をひと通り駆け足で観て回ったのち外に出て、
海岸遊歩道をのんびりと散歩しながら海を眺めました。
この日は空気がよく澄んだ晴れのお天気で、
思わず声が出るほど海の色が本当に綺麗です。
まさに沖縄の海。

 

いつまでも眺めていられそうなほど美しい海ですが、
冬だと言っても沖縄の陽射しは強く、方角によっては反射が眩しい。
公園内には植物園や郷土村といった施設もあったので、
そちらも回って沖縄の植物を楽しんだり沖縄の古い民家を学んだり、
時間を最大限に使って満喫しました。

 

その後、バスは南へ進み、
沖縄本島のリゾート地恩納村にある万座毛を目指します。
万座毛は、海岸の絶壁に象の鼻の形の岩がついているのが特徴の景勝地
海岸の周りには人口芝が広がり、琉球王朝時代の王が「万毛」(一万人が座れる原っぱ)
と評したことが名前の由来だと言われているそうです。
眼下に広がる海も美しくまさに絶景。

 

今ではこうして多くの人が美しい景色を楽しむスポットになったこの場所も、
実は沖縄線では多くの人がこの絶壁から美しい海に身を投げ、
いわゆる集団自決があった場所だと言われています。
沖縄本土全体にこうした戦争の跡が残っているのです。

 

美しい沖縄の海にもまた想いを馳せながら、
これからバスは一気に南下し嘉手納町の隣町北谷町に進み、
アメリカンビレッジへ向かいます。

 

アメリカンビレッジはアメリカの雰囲気を模したエンターテインメイトエリアで、
映画館やボーリング場、観覧車、雑貨店、飲食店、
美しい夕日が眺められるビーチがあり若者に大人気のスポットです。
実は北谷町にも米軍基地があり、
アメリカンビレッジは1981年に米軍から返還された射撃場の
基地跡を開発したものなのだそうです。
開発にあたっては、沖縄とアメリカの文化が混在し、
独自の文化と県民性を培ってきたことを最大限に生かし、
県内外の人が日帰りリゾートを楽しむことができる施設を目指したそうで、
基地の跡利用の成功例として取り上げられることが多いと言われています。

 

ここでは約50分の自由時間があったので、
アメリカらしくまだクリスマスの雰囲気を残したショッピングエリアを
少し歩いたあとにビーチに行ってみました。
サンセットにはまだ少し時間が早かったのですが、
落ちつつある陽と雲と影が美しい大きな空を見ていると、
なんだか異国にいるような気分になりました。

 

5:45にバスに戻り、これから県庁前まで戻ります。
帰宅ラッシュに巻き込まれないようにとの配慮があっても
車社会の沖縄中心部は渋滞がちで赤いテールランプが長く続きます。
解散したのは7時を回ってから。
ほぼ11時間のツアーになりました。
とても長い一日でしたが、沖縄を様々な角度から眺めて今日も大満喫。
沖縄がさらに興味深くなりました。

 

沖縄3日目

 

12月27日

この日は沖縄南部の戦跡を巡るバスツアーに参加します。

 

8:15に沖縄観光バスターミナル集合ということですが、
ターミナルはなんとも便利にホテルから徒歩3分。
この日の参加者は、韓国人・パキスタン系の方・日本人の混成で13名。
自由席だと言われたので一番に乗り込みドア側の最前列を確保。
フロントからの車窓の眺めも、ガイドさんの話も満喫する気満々です。

 

8:30に出発したバスはまず沖縄ワールドへ向かいます。
道中ガイドさんが沖縄の地名の読み方や、
通過している地域の説明などを丁寧にしてくれ、
移動時間もあっという間です。
約1時間後には沖縄ワールドに到着しました。

 

ここでは玉泉洞という鍾乳洞の見学から。
観光用となっている部分は洞窟の主洞にあたり約800mほどだそうですが、
洞窟全体の総延長は5000mにもなる沖縄県で最大の鍾乳洞だという事です。

 

じめっとやや暖かく感じられる暗くて狭い洞内は、
天井からも両壁からも無数の鍾乳石が垂れ下がっていて圧倒されます。
30万年前から形成を続けていると言われても
その時間の経過は想像もつきませんが、
雫がぽたりぽたりと静かに垂れ落ちる様子を見ると、
今もなお形成を続けている自然の神秘に感動しました。

 

予想以上に見応えのあった鍾乳洞の後には、
太鼓と踊りで先祖を慰霊するエイサーをエンターテイメントにした
「スーパーエイサー」を鑑賞。
子供も外国人も楽しめる元気のあるショーでした。
エイサーショーが終わるとすぐにバスは出発。
次に向かうのは、平和祈念公園です。

 

1945年アメリカ軍の攻撃により
首里にあった日本軍司令部がこの沖縄本島最南部に撤退したため
ここで激闘が繰り広げられたのち、沖縄戦は終焉したそうです。
糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、
南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる広く穏やかな公園内には
沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、
沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、
戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、
国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。

 

自由散策でも広い敷地内を見て回るには時間が全く足りませんでしたが、
犠牲になられた多くの方々、残された家族の方々に思いを馳せ、
海を眺めて静かに平和を祈念しました。

 

次はひめゆりの塔へ向かいます。
看護要員として戦場に動員され亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔。
皆で慰霊塔の前まで行き、ガイドさんから説明を受けた後に
ツアー参加者全員で合掌しました。

 

その後、土産物屋内にある食堂に用意された昼食を食べたら自由行動です。
私は、ひめゆり平和祈念資料館に入館し、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、
生存者の方の証言ビデオなどを見学してからバスに戻りました。

 

太平洋戦争の終わりにこんなにも南の果ての地に米軍が上陸し
激しい戦闘が行われて非常に多くの犠牲者が出たこと、
その後アメリカの占領下となり本土復帰を果たすまでの長い年月と、
今なお残る米軍基地問題がひと綴りとなって胸に迫りました。

 

いろいろな気持ちに収拾がつかなくなり困りましたが、
アーバスは、最後にアウトレットモールへ。
戦跡めぐりからの落差が大きいけれども、
このアウトレットモールは戦跡や海以外で沖縄経済を支える新しい施設です。

 

そんなわけで、ここで約1時間の自由行動のあと、
3:30過ぎに那覇市内のバスターミナルへ戻りこの日のツアーは終了。
沖縄に来て真っ先に訪れてみたかった場所を効率的に回り、
大満足の一日でした。

沖縄2日目

 

12月26日

朝、8時半にホテルを出て、
モノレールで首里城を目指します。

 

曇り空でセーターだけでは少し肌寒かったけれど、
首里城内へ入った途端に青空が広がり陽射しが強い!
青い空に赤い琉球建築がよく映え、
高台から市内を見渡す気持ちも晴々です。

 

気分良く首里城公園をひと通り見学した後は、
日本の道百選に選ばれた金城町石畳へ。
石畳と石壁に囲まれた坂道では、
赤い煉瓦やシーサーが見え隠れし、
異国に来たような独特の雰囲気です。

 

ちょっとした横道にもそれながら石畳を上り降り。
坂道を下り切ったときにはさすがに疲れが。
元来た道を戻るのも大変なので、
別の道から帰ろうと思ったのが間違いで、
方向を失って同じ所をグルグルしたのち、
結局元来た道を辿って首里城前まで戻りました。

 

その後、歴代の琉球国王が眠る世界遺産の玉陵へ。
敷地内入り口のガジュマルや苔で覆われた石造りの墓は、
アンコールワットを思い出させます。

 

首里周辺の散策を満喫し正午を過ぎたところで、
モノレールで牧志駅まで戻り牧志公設市場に向かいました。
戦後すぐに開設され市民の台所と言われる市場には、
珍しい野菜やカラフルな魚、様々な部位の豚などがところ狭く並び、
こちらもまたアジアの市場を彷彿させます。
沖縄はアジアの国々との共通文化が強いことを改めて認識しました。

 

喧騒と匂いに圧倒されたので、
新鮮な空気を求めて市場を出て
壺屋やちむん通りに向かうことにしました。
沖縄の伝統的な焼き物を扱うお店が並ぶ通りです。

 

店先に並ぶ焼き物を見るより先に目についた綺麗な花見上げていると、
突然地元のおじさんに話しかけられました。
「これは〇〇というの。他にもいろいろあるから教えてあげる」と
その辺り一帯をあるきながら、たくさんの草木を見せてくれました。

 

シークワーサー、グアバ、マンゴー、バナナ、といった亜熱帯の植物から、
ハイビスカス、ブーゲンビリアなどの沖縄のお花、
サクラやスミレやバラまで次々に説明しながら葉っぱをちぎって香りを嗅がせ、
石垣に隠れるように 埋められているシーサーや珊瑚を見せて周ります。
篭るように話すおじさんの方言も全く聞き取れないまま、
へー、なるほどー、と頷きついて行く私。
勝手に人の庭を覗き込んだり、焼き物の工房に入ったり。

 

「ガイドの資格がないからね。
でも、花が好きな人にいろいろ教えてあげるの。
あ、ほれこれ〇〇、はい匂い嗅いで」
お構いなく歩き回るおじさんについて行くのに必死ですが、
完全にマンツーマンのガイドさんです。

 

さすがに午前中によく歩いた私もそろそろ疲れて来ました。
すると「市場も行ってみるか」と牧志公営市場内へ。
さっきも来たばかりですが、おじさんが一緒なら違います。
売られている珍しい物を指差して教えてくれ、
途中で誰も気づかないような色あせたかつての市内の写真や
ポスターの前で立ち止まっては細かくと説明してくれます。

 

やがておじさんも疲れたのか、
公営市場を出て周辺の商店街でアンパンやら沖縄銘菓、
お茶を買ってくれてベンチで休憩。
甘いものが苦手な私は、今はお腹いっぱいだから後で食べますと
お茶だけ飲みました。

 

しばしの休憩後また商店街の中を歩き始めました。
地元の商店街ではローカルのカラオケ大会開催中。
パイプ椅子が気持ちだけ置いてあるような地味なカラオケ大会ですが、
ちょっとだけ見ていこうとおじさんが足を止めたとき、
なんとこんな場所で担当の留学生を発見!!
彼がこの休みに沖縄へ行くことは知っていたのですが、
まさかこんなローカル感たっぷりの場所で…。

 

と、そんなこんなで焦る私をよそに、
おじさんはまた商店街内を隈なく歩き回り、
最後に「はい、ここに座って」と小さな店先に腰掛けました。
ここで供されたのができたてのスパムおにぎり。
分厚い豚のハム肉スパムと卵焼きをしっかり握った
特大サイズのおにぎりです。

 

これはさすがに食べなければ…
意を決して大嫌いな分厚いハムが一枚どっしりと入った
ずっしり重い特大おにぎりを完食しました。

 

食べて早々にまた少しまた辺りを歩いたら
おそらくこの界隈は網羅したのでしょう、
「ホテルはどこ?」と尋ねられました。
県庁の近くですと答えると、
そちらの方面まで行く用事があるから一緒に行こうと、
今度は国際通りをすたすた歩き始めます。

 

土産物屋が立ち並ぶゴミゴミした通りですが、
ここでも何かと説明しながら早歩きは止まりません。
そして大きな菓子土産物屋に立ち寄り、
「ここは試食が一杯あるよ」と次々に爪楊枝に刺した試食のお菓子を
渡してくれます。

 

普段ならお菓子は食べられないのでいりませんときっぱり断りますが、
おじさんを前にしてはそれも躊躇します。
食べる振りをして口に中に入れはこっそり吐き出し(失礼)、
私なりに気遣って試食のお付き合い。
だって、もうすぐお別れですから…。

 

そのお店を出て、信号を渡ったところでお別れでした。
「本当にありがとうございました。
色々教えてもらってご馳走にもなって。
たくさん歩かせてしまいましたね」

 

「いや、歩くのは好きだからいいの」と
すでに自分の帰る方へ歩き始めています。
おじさんの背中に向かって「ありがとうー!」と声をかけると、
背を向けたまま「じゃあまた会おうな」。

 

思いがけない出会いでおじさんと共に那覇の町をよく歩きました。
珍道中に感謝です。

 

 

 

 

 

クリスマス in Okinawa!

 

沖縄に来ています。
25日の朝、初めてのピーチ航空に乗り、
初めて沖縄へやって来ました。

 

冬の沖縄。
避寒をしてバルコニーから海を眺めてのんびり…ではなく、
那覇を中心に本島南部を観光しながら、
沖縄の歴史や現在について学びたいと思っています。

 

惨たらしい戦争とそれからの歩みは、
本土にいるとあまりに遠い出来事で
余所事のように感じてしまいますが、
実際に足を運ぶことで現実として受け止めたいと
クリスマスらしくないテーマで旅することにしました。

 

次に日本を旅行するときは沖縄だねと、
海好き歴史好きのアルが言っていました。
ベトナム戦争と沖縄の結びつきは、
彼には本当に興味深いはずです。
そんな訳で、今回の旅はアルへのクリスマスプレゼントです。

 

格安航空券ならではのターミナル移動や狭い座席、
那覇中心部のホテルの狭さなど、
贅沢な旅とは程遠いけれど、
私たちらしい濃厚な旅になることを願っています。

Merry Christmas !!

 


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ファミリークリスマス

 

昨日のクリスマスイブは、
実家で妹家族と両親とのクリスマス会でした。

 

妹が、アクアパッツァを作るというので、
私はパンとワインとタコのマリネサラダを担当。
母は、ハンバーグと炊き込みご飯の一口おにぎり、
手羽元の酢煮込みを用意してくれました。

 

お昼までに諸々準備を済ませて
3時頃に実家を訪ねて母とおしゃべりをしていると
妹から連絡が入りました。

 

部活のため学校へ行っている姪っ子は、
部活が終わってから直接こちらに向かい、
妹は家で料理を作ってから甥っ子を迎えに行って、
6時までにはこちらに着くということ。

 

皆の到着を逆算してサラダの仕上げと
母が作った炊き込みご飯を小さなおにぎりにしていると、
姪っ子が帰ってきました。
制服姿のまま、何か手伝おうか?と聞いてくれましたが、
いえいえ、大丈夫よ〜〜と言っているうちに妹も到着。

 

夕方少し眠ってしまったということで、
起きたら気分が悪いし悪寒がすると話す妹の顔色は
心配になる程に青白い。
そんな状態でも作って持ってきてくれたアクアパッツァが、
これまた相当に美味しそうで、大丈夫?と気にかけつつも、
子供達のため料理をお皿に移し替えて食卓の準備を整えて、
とりあえずクリスマスディナーです。

 

大きなお皿に好きなものを自由に取っていただく
カジュアルスタイルのクリスマスディナー。
鯛を1匹半とアサリやムール貝で豪華な妹のアクアパッツァは、
初めて食べるという母も、現役時代以来だという父も嬉しそう。
私もテンションが上がりおいしいを連発。
圧倒的にこの日の一番人気でした。

 

幸い、時間が経って少し良くなった妹も一緒に食べる事ができ、
アクアパッツァの残りのスープに
パンをつけて食べるのが美味しいとか、
妹が買って持ってきたディップ(フムス)の味が苦手とか、
ワイワイ楽しいディナーになりました。

 

相変わらず食べることに夢中で、
皆でゆっくりと語り合いながら食卓を囲むわけではありませんが、
賑やかに皆で揃うことができるのは有難いこと。
妹からは、福袋のようなクリスマスプレゼントもいただきました。

 

カナダでのクリスマスとは全く違うけれど、
アットホームで私たちらしいクリスマス。
家族みんなに感謝です。

 


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仕事納め 2017

 

少し早いですが、本日で仕事を納ました。

 

担当している学生たちの秋学期最終日、
学生たちも相手先もホリデーになるため、
来週の勤務日は有給休暇を使って
長い冬休みをいただくことにしました。

 

昨年の今頃にカナダに里帰りをして
エネルギー充電したはずなのに、
冬まで持たずに気持ちもパワーダウン気味です。

 

そんな中今朝は嬉しいことに
久しぶりにアルの夢を見ました。
「今年一年お疲れさま!Good job!」
と、言いに来てくれたのかもしれません。

 

今年はカナダへ帰省はしませんが、
長いお休みに気持ちをすっきりと入れ替えて、
新しい年と新学期を迎えたいと思っています。

 

まずは、家族で過ごすクリスマスから。
24日のクリスマス会が楽しみです!

 

Happy holidays, everyone!!

シネマ歌舞伎

 

久しぶりの土曜日のお休み。

11月25日から公開されていたシネマ歌舞伎

『め組の喧嘩』を観に行きました。

 

平成24年5月の平成中村座で、

中村勘三郎さんが初役に挑んだ舞台の最終公演を

映画館のスクリーンで観ることができるなんて、

これは見逃さずわけにはいきません。

 

江戸歌舞伎発祥の地にの芝居小屋を現代に復活させ、

多くの人に歌舞伎を楽しんでもらいたいと、

中村勘三郎さんが浅草に作り上げた芝居小屋「平成中村座」。

通常の劇場とは異なり、舞台と客席が一体となった空間は、

当時とても話題になりました。

 

東京へは足を運ぶことができませんでしたが、

その後大阪でも「平成中村座」をということで、

大阪市北区扇町公園にテント小屋のような芝居小屋が建てられ、

日々満員のお客様で埋め尽くされたことは、

驚きと感嘆とともに今でもよく覚えています。

 

そして『め組の喧嘩』。

江戸時代の風情溢れる世話物で、

ちゃきちゃきした町火消「め組」の鳶頭は、

中村勘三郎さんにぴったり。

人情たっぷりで最後の鳶たちと力士たちの喧嘩まで、

終始エネルギーに満ち溢れていました。

 

おそらく当時、最終公演のサプライズとして

企画されたものだったのでしょう、

お芝居が終わって幕が下りた後には、

なんと浅草の神輿が舞台に雪崩れ込んでくる、

まさかの貴重な映像まで!

 

まさかの演出に驚きつつとても嬉しそうな勘三郎さんと、

彼の「平成中村座」への思いを実現するために尽力したであろう、

浅草商店街の仲間たちのしてやったりの表情、

そしてその後ろには東京スカイツリーの凛とそびえ立つ姿、

感動の涙が溢れて止まりませんでした。

本当に素晴らしかった。

 

こうして感動の気持ちを抱えたまま劇場を後にし、

久しぶりに実家に立ち寄りました。

お茶を飲みながら母とあれこれおしゃべりし、

両親と大笑いしながら早めの夕食を食べてからの帰り道、

しみじみとああ良い一日だったな、と思いました。

 

なんだか人の温かみが深く心に沁みた土曜日でした。