台湾1日目

 

2月2日(金)

 

朝7時50分のリムジンバスで関空へ。
団体カウンターでチケットを受け取り、
キャセイパシフィック航空カウンターでチェックイン。
今日は通常より混んでいるので、
早めにセキュリティチェックを済ませて下さいと言われましたが、
冬季オリンピックの影響なのか驚く程の長蛇の列。
搭乗口までたどり着いたらすぐに搭乗開始まで10分のオンタイム。
妹はレンタルWiFiのセッティング、
私はカメラに乾電池を入れ動作確認です。

 

せっかく乾電池を買ったのになぜか変わらず
change batteries の表示です。
新しい電池なのにおかしいと思ってよく見てみると、
電池を入れる部分に被せる蓋の留め具が壊れていて、
しっかり蓋ができないために電池を感知していないことが判明。
到着してからテープで固定することにしました。

 

なんだかここまでですでに疲れを感じます。
でも、搭乗後思いのほか綺麗な機体に感動し、
機内エンタテイメントの中に見たかった映画を見つけて
早速鑑賞開始、食事を食べて、映画をきっちり観終わり、
新聞を読みながら音楽を聞いてあっという間に着陸体勢へ。
とても快適に台北までの3時間を満喫しました。

 

到着後はゲートを出てすぐのところで、
現地のガイドさんが待ってくれていて簡単に合流できました。
私たちを含め合計19名のツアーのスタートです。
台北はあいにくの雨で肌寒く、
ガイドさんから傘がすぐに使えるように出しておいて下さいと
言われてバスに乗り込みました。

 

ガイドさんは楊さんというベテランの女性。
日本語がとてもうまく、日本へ40回以上訪問したことがあるそうです。
ベテラン楊さんが走り始めたバスの中で皆に尋ねます。
「明日観光するはずの中正紀念にこれから向かいたいと思うがいいですか」
明日の行程はハードな上、土曜日で週末なのでどの場所も混み合い、
渋滞に巻き込まれる恐れもある、今日今から一つ観光を終わらせたら
明日が楽ですよ、と否定のしようもない理由を淀みなく述べる楊さん。
そんなわけで予定が少し変わって台北到着後すぐに
中正記念堂に向かいました。

 

台湾を治めた蒋介石を追悼し1980年に建てられたという建築物。
白い壁に瑠璃色の屋根が美しいと言われている建物も
短い時間のなかではじっくり鑑賞することができません。
楊さんは雨に当たらないようすぐに中に入り、
蒋介石を中心とした台湾の歴史をテキパキ説明しながら
巨大な蒋介石の座像が鎮座する部屋まで案内してくれました。
像を守衛する衛兵が微動だにしないことも有名なのだそうです。
蒋介石にまつわる写真や像を見て歴史の不勉強を反省しました。

 

次は市街北部にある「行天宮」へ。
三国志で有名な「関羽」が奉られ、信用の神、商業の保護神として、
いつも祈りを捧げる信者が絶えないそうです。
幸い雨が止み、本殿から拝殿までゆっくり見ることができました。
熱心にお経をあげる人、膝をついて祈を捧げる人、
三日月型の木片を投げ神様に意見を尋ねる人など、
人々の様子を見ているだけで興味深い。
台湾の歴史に続き、民族性や思想感の不勉強をまたまた反省しました。

 

その後、一旦ホテルにチェックイン。
荷物を部屋に運んですぐに台湾料理が有名なレストランへ。
ボリュームのある夕食を食べてから、夜市へ向かいました。
台北で一番規模が大きい士林夜市での自由散策。
幸運にも雨が止んでいたので、
食べ歩きができる食べ物の屋台だけでなく、
衣料品や生活雑貨、玩具、土産物、縁日のようなゲーム、
あらゆる色々な屋台が並び、たくさんの人で賑わっています。

 

人の多さで身動きが取りにくいところもあり、
当てなく気ままに散策しているうちに集合時間が迫ります。
慌てて集合場所に戻ろうとするも方向を失いかけて焦る私たち。
最後は走って集合場所へ急ぎましたが、わずかに時間に遅れたようです。
「遅いよ!!何やってるの!」楊さんに叱られてしまいました。
さすが元教師の楊さん。
先生に怒られた生徒のように反省した2人でした。

 

ということで、反省しきりの台湾1日目は無事に終了。
部屋に戻ると2人とも早めに眠りにつきました。

 

 

雨の週末 in Taiwan

 

先週末、2泊3日で妹と台湾旅行へ行ってきました。
家を留守にするのが難しい妹と一緒に旅行というだけで
すでに有り難いことだけれど、
どうせ行くなら少しでも多くの観光がついているツアーを探し、
昨年末にようやく日程調整をして台湾北部周遊3日間プランを
申し込みました。

 

出発直前に妹が風邪かインフルエンザか体調を崩して
旅行に行けるかどうか心配しましたが、
前日に少し回復してきたとのことで当日の体調が回復することを願いつつ、
現地の天気をチェックすると3日間ともまさかの雨。
これだけ雨が降るのならと一眼レフは諦めることにしました。
おかげで元々少ない荷物がさらに減ってリュックが軽くなり、
小さなカメラを持っていくことにして久しぶりに電池を充電して準備完了。

 

当日の朝、一晩中充電したたずの電池を入れても動かないカメラ。
充電式の電池自体が古くて充電ができなかったのかもと推測して、
リムジンバス乗り場へ向かう途中で乾電池を購入して
お店を出たところでちょうど妹と出会って一緒にバス乗り場へ。
幸運にも妹の体調は回復したようで一安心して二人旅の始まりです。

 

さて、こんなふうに始まった妹と私の二人旅。
あいにくの雨と気温の低さには辟易しましたが、
それでも苦笑いと大笑いの絶えない楽しい旅になりました。
これも妹の留守番をしてくれた姪っ子と母のお手伝いのおかげです。
どうもありがとう!
旅の詳細はこれからゆっくり書こうと思います。

妹とサンデーランチ


今日は妹とランチに行きました。
近々ふたりで小旅行を予定しているので、
そろそろ詳細確認もしたいとお互いに思っていたのです。

 

お天気も良く暖かかったから少し歩いて苦楽園まで。
お気に入りのイタリアンでのランチです。
前菜もパスタもやっぱり美味しい!
珍しく混んでいなかったので、
コーヒーまでゆっくりいただきました。

 

その間に、旅行のこと、家族のこと、
健康のこと、仕事のこと、老化のこと、
いろいろ話すことができました。

今日の話の結論は「浅野ゆう子を目指す」。
健康に努め前を向いてがんばります。

 

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母とシネマ歌舞伎へ

 

昨日は、母を誘ってシネマ歌舞伎を観に行きました。
2週間早いですが母の誕生日祝いです。

 

今回の演目は『京鹿子娘五人道成寺』。
女方の技術全てが含まれ女方舞踊の最高峰位置すると
言われる『娘道成寺』。
通常は1時間近くをひとりで踊り切る大曲で、
現代では坂東玉三郎さんの当たり役とされているこの作品を、
玉三郎さんと若手4人の5人で踊り分けた特別版です。

 

美しい衣装を纏った主人公の花子を、
時に代わる代わる、時に5人揃って踊り次ぐ舞台は、
本当に豪華で優美です。

 

同じ役を演じてもそれぞれに個性あり、
中村勘九郎七之助兄弟がぴったり息を合わせて
並んで踊る姿も見せ場ですが、
何より女方の至宝と称される玉三郎さんの
鍛錬と経験と才能が抑えた演技から滲み出る姿は、
流石としか言いようがありません。

 

一点残念だったのは、踊りや場面が代わる時に、
役者のインタビューが挿入され舞台の流れが途絶えてしまうこと。
ただしこれは、玉三郎さんご自身がシネマ歌舞伎として編集され、
観客がそれぞれの個性を見分け、
それぞれの想いを理解しながら鑑賞できるようにとの工夫と、
歌舞伎とは違うシネマとしての成り立ちを考えられたからだと、
作品鑑賞後に過去のインタビューを読み、
玉三郎さんの狙いを理解しました。

 

口伝で伝えるよりも一緒に舞台に立つ方が良いという
歌舞伎を次世代に繋ぐ強い想い、
自分だけでなく将来を担う若い世代にも目を向けてほしいという
観客へのメッセージまでもが込められているように感じます。

 

逆に同時上映だった『二人腕久』は、
飾り気なくシンプルに舞台をそのまま映像に収めた作品となっていて、
玉三郎さんの幻想的な舞踊が引き立ちなおも存在感が光りました。

 

いつか娘道成寺を通しで観てみたい、
いつか実際に坂東玉三郎の舞台を観てみたい、
そう思わずにはいられない今回のシネマ歌舞伎でした。
何より、母が「玉三郎良かったわ」と言ってくれた事が、
一番嬉しかったです。

 

さて、2人で玉三郎さんに魅せられた後、
せっかくなので三宮でランチを食べて帰ることにしました。
母がお店はもう決めているのかと聞くので、まだだと答えたところ、
鉄板ステーキのお店はどうかとの提案。
山の会の仲間が皆で行ったそうで
手頃な値段で鉄板ステーキよかったよと聞き、
一度行ってみたかったそうです。

 

阪急三宮北側すぐの雑居ビルに入ったお店。
鉄板付きの8人掛けテーブルが何セットも置かれていて、
満席の店内はカメラを手にした中国人と韓国人でびっしり。
各テーブルの鉄板にはコックが入れるスペースがついていて、
その場でお肉を焼いてそれぞれに供してくれるスタイル、
リーズナブルに神戸牛も選ぶ事ができるとあれば、
観光客に人気なことは分かります。

 

母と私は並んで座り、4人の若い中国人と向かい合わせに
同じ鉄板を囲むことになりました。
私たちは普通のお肉、彼らは神戸牛を選んだようです。
鉄板まで運ばれてきたお肉の厚みが随分違う!笑
鉄板の上で一緒に焼かれているお肉を眺めたり、
周りから聞こえてくる中国語韓国語を耳にしながら、
ちょっと不思議で楽しく美味しいランチになりました。

 

歌舞伎にお肉、非日常の土曜日でした。
三宮で母とお出かけというのももう随分と久しぶり。
母の誕生日のおかげで素敵な休日になり感謝です。
また一緒にお出かけしたいな。
まだ少し先だけど、お母さん誕生日おめでとう!!

 

 

 

 

2018年の正月三が日

 

大晦日から実家に戻り、
沖縄旅行の写真を見せながら旅の思い出を母に話し、
年越し蕎麦を食べて紅白歌合戦にゆく年くる年。

 

元旦は、両親とお節をいただいてから初詣へ。
干支入りの升に振舞われるお神酒を母が毎年楽しみにしているので、
年始の行列にもお付き合い。
午後は陽当たりの良い部屋で新聞を読んだりのんびりと。
清々しく晴れた気持ちのよい元日でした。

 

2日は、シネマ歌舞伎『熊谷陣屋』を観に映画館へ。
平家物語を脚色した古典ですが、
戦の悲しみや不条理を心情込めて迫真に迫る
当代中村吉右衛門さんの演技に心を打たれました。
今年も月一シネマ歌舞伎を楽しみにしたいと思います。

 

3日は、午前中に妹夫婦と甥っ子と廣田神社に初詣へ。
その後一緒に車で実家を訪ねました。
お昼に母が用意してくれた手巻き寿司を家族みんなでいただき、
食後には姪っ子の冬休みの宿題のお手伝い。
なんでも仕事をしている人へのインタビューということで、
人生の概略から仕事の内容、高校生へのメッセージまで。
最近はこんな学習もあるんですね。

 

というわけで、あっという間に三が日が終わりました。
家族が皆、健やかに新しい年を迎えることができることに感謝です。
今年一年、少しでもたくさん笑い、
日々感謝の気持ちを忘れずに穏やかな一年を過ごしたいと思います。

 


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沖縄5日目

 

12月29日
今日が沖縄最終日です。

自分なりの沖縄の旅を十分に満喫し、
さすがにやや疲れています。
チェックアウトの時間までホテルでゆっくりと旅を振り返り、
その後荷物を背負って最後にもう一度国際通りを歩きました。

 

2日前に出会ったおじさんのことが心に残り、
もしかしたらまた会えるかもしれないと、
再び壺屋やちむん通りへ足が向かいます。

あの時は、おじさんに連れられて路地の草木を追い、
周りをゆっくりと見る余裕がありませんでしたが、
こうして再び来てみると、やちむん通りと呼ばれる一帯を
本当に隈なく歩いていたことが分かりました。

奥まった路地で石壁に隠れているシーサーや珊瑚、
シーサーの形に刈り取られた木の垣根など、
ひとりでは絶対に気がつくことができないものをたくさん見せてもらい、
次から次へと連れまわして説明してくれるおじさんの姿もまた、
この場所で一体となって心に蘇ってきます。

また会えそうな気がしたけれど、
やはりおじさんの姿を見つけることはできませんでした。
「娘がみんな正月に帰ってくるからこき使われる」と言っていたので、
今頃忙しくしているのでしょう。
一期一会に感謝です。

 

こうして沖縄での楽しい思い出を胸に、空港へと向かいました。
那覇空港は、帰省のために戻ってきた人や家族を出迎える人、
逆に故郷へ帰っていく人や年末年始の休暇を過ごすために訪れた人々で溢れ、
行き交うたくさんの人を見ているだけで、
待ち時間もあっという間に過ぎていきました。

今回、沖縄を旅したことでより一層沖縄に興味が湧き、
引退を表明した歌手の安室奈美恵さんのこれまでの活躍の深みや、
その影にあったであろう苦難でさえもが感慨深く思われるくらいです。

こんなふうに、いちいち深く考えるのもアルの影響でしょうか。
私たちらしい旅になったということですね。
楽しい旅をありがとう!!

 

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沖縄4日目

 

12月28日
美ら海終日観光バスツアーに参加。

8:35 県庁前集合 8:50出発。
今回のツアーではバスの座席は指定席。
幸運にも運転手席のすぐ後ろを用意してくれていて、
今日も車窓の景色とガイドさんの説明をしっかり満喫できそうです。

 

途中2か所で参加者を拾い、
国籍もバラバラな約30名のツアーがようやく始まったのが10時過ぎ。
集合時間に遅れる人もいたためここまでが長く感じられましたが、
これから嘉手納町にある道の駅かでなへ向かいます。

 

嘉手納町は、沖縄本島の中部に位置し東シナ海に面した小さな町ですが、
嘉手納飛行場、納弾薬庫地区、陸軍貯油施設があり、
町の83%が米軍基地で占められています。
ベトナム戦争のときには、嘉手納飛行場から米軍戦闘機が飛来し、
1968年には離陸に失敗した戦闘機が爆発し、
民家が損傷し数名が軽傷を負う事故もあったそうです。

 

道の駅にはトイレ休憩に立ち寄っただけでしたが、
ここには展望場があり、嘉手納飛行場の滑走路を見渡すことができます。
私はバスから降りて一目散にこの展望場へあがりました。
訓練中の戦闘機が飛来する様子やその爆音を目のあたりにすると、
本当にここは日本なのかと信じられない気持ちになりました。

 

米軍基地地域には、米軍兵士の家族が暮らす住宅地や学校、
アメリカと同じように生活できるようにすべてが整備されているそうです。
以前、沖縄で育ったハワイからの留学生がいましたが、
彼が日本語を話すことができなかったのもこのような背景があったからです。
本土復帰を果たしたとはいえ、沖縄は今でも複雑な社会構成を成しています。

 

さて、嘉手納町で社会について想いを巡らせた後、
バスはここから一気に北上して名護市北西の本部町にある
海洋博公園を目指します。
海洋博公演は、1975年に沖縄で開催された沖縄国際海洋博覧会
記念して設営された国営公園で沖縄観光でも人気の高い観光スポットです。
中でも有名なのが美ら海水族館
世界最大級の分厚い巨大な水槽の中でゆったりと泳ぐジンベイザメや、
東シナ海をバックにしたイルカショーが大人気です。

 

ここでは約2時間半の自由時間だったので、
水族館の中をひと通り駆け足で観て回ったのち外に出て、
海岸遊歩道をのんびりと散歩しながら海を眺めました。
この日は空気がよく澄んだ晴れのお天気で、
思わず声が出るほど海の色が本当に綺麗です。
まさに沖縄の海。

 

いつまでも眺めていられそうなほど美しい海ですが、
冬だと言っても沖縄の陽射しは強く、方角によっては反射が眩しい。
公園内には植物園や郷土村といった施設もあったので、
そちらも回って沖縄の植物を楽しんだり沖縄の古い民家を学んだり、
時間を最大限に使って満喫しました。

 

その後、バスは南へ進み、
沖縄本島のリゾート地恩納村にある万座毛を目指します。
万座毛は、海岸の絶壁に象の鼻の形の岩がついているのが特徴の景勝地
海岸の周りには人口芝が広がり、琉球王朝時代の王が「万毛」(一万人が座れる原っぱ)
と評したことが名前の由来だと言われているそうです。
眼下に広がる海も美しくまさに絶景。

 

今ではこうして多くの人が美しい景色を楽しむスポットになったこの場所も、
実は沖縄線では多くの人がこの絶壁から美しい海に身を投げ、
いわゆる集団自決があった場所だと言われています。
沖縄本土全体にこうした戦争の跡が残っているのです。

 

美しい沖縄の海にもまた想いを馳せながら、
これからバスは一気に南下し嘉手納町の隣町北谷町に進み、
アメリカンビレッジへ向かいます。

 

アメリカンビレッジはアメリカの雰囲気を模したエンターテインメイトエリアで、
映画館やボーリング場、観覧車、雑貨店、飲食店、
美しい夕日が眺められるビーチがあり若者に大人気のスポットです。
実は北谷町にも米軍基地があり、
アメリカンビレッジは1981年に米軍から返還された射撃場の
基地跡を開発したものなのだそうです。
開発にあたっては、沖縄とアメリカの文化が混在し、
独自の文化と県民性を培ってきたことを最大限に生かし、
県内外の人が日帰りリゾートを楽しむことができる施設を目指したそうで、
基地の跡利用の成功例として取り上げられることが多いと言われています。

 

ここでは約50分の自由時間があったので、
アメリカらしくまだクリスマスの雰囲気を残したショッピングエリアを
少し歩いたあとにビーチに行ってみました。
サンセットにはまだ少し時間が早かったのですが、
落ちつつある陽と雲と影が美しい大きな空を見ていると、
なんだか異国にいるような気分になりました。

 

5:45にバスに戻り、これから県庁前まで戻ります。
帰宅ラッシュに巻き込まれないようにとの配慮があっても
車社会の沖縄中心部は渋滞がちで赤いテールランプが長く続きます。
解散したのは7時を回ってから。
ほぼ11時間のツアーになりました。
とても長い一日でしたが、沖縄を様々な角度から眺めて今日も大満喫。
沖縄がさらに興味深くなりました。